『アヒンサーはクシャトリア(貴族階級)の生まれで、誠実で勉強熱心な青年だった。一人のバラモン(僧侶階級)を師事し、よく勉学を修め、将来を嘱望されていた。ところが、そのバラモンの若い妻が彼に懸想をした。彼はこの誘惑を退け、彼女を拒絶するのだが、これにプライドを傷つけられたバラモンの妻は亭主に対し、逆にアヒンサーが彼女を誘惑したかのように訴える。怒り狂ったバラモンは彼に呪いを掛け、千人の人間を殺してその小指を切り落とし、その指で作った首飾りを掛ければ学問が成就すると思い込ませる。アヒンサーは殺人鬼と化し、以後アングリマーラ(指鬘―指の首飾り)と呼ばれて恐れられるようになった。
九百九十九本の指が集まり、あと一人という時、ひとりの老女が彼の前に通りかかった。それは生命を掛けて彼を制止しようとする、彼の母親だった。が、呪いを掛けられたアヒンサーには母親よりも、学問の成就こそが大切に思われる。何の迷いもなく彼は剣を振り上げた。その時、彼の眼前に立ちはだかった一人の沙門がいた。アヒンサーには剣が振り下ろせない。訝った彼は母親を置いて、その沙門の後を追う。が、どれほど力の限り走ってもその沙門には追いつけない。
やがて疲れ果てたアヒンサーはたまらず、「止まれ!」と叫ぶ。
「わたしは始めからここに立っている」
沙門は息を切らすこともなく、最初の場所に佇んでいた。
「あなたこそ、何故そんなにひた走るのか。あなたこそ、止まるがいい」
アヒンサーは震えながらも沙門を罵った。
「俺が何をひた走っているというのか。お前が逃げるから追っただけだ。お前を殺して指をもらう。それで俺の学業は成るのだ」
「わたしは逃げてなどいない。あなたがひとり、あなたの内の善なるものから逃れようとしているだけなのだ。わたしはだから、あなたにこそ止まれと命じる。あなたはいったん死なねばならない。死んで善なる本来のあなたに生まれ変わらねばならない。その手助けをしに、わたしはあなたを訪れたのだ」
この時、瞬時にしてバラモンの呪いは解け、アングリマーラはもとの誠実な若者のアヒンサーに戻っていた。彼は沙門の前にうずくまった。
「ああ、しかしわたしが行った悪業の消えることはありません。すでにわたしはあなたの教えの不殺生を破った者です。わたしにはあなたに教えを受ける資格などなく、地獄に落ちるよりないのです」
「あなたとわたしたち自身を戒めるため、不殺生の教えを、以後アヒンサーと呼ぶことにしましょう。古いあなたは死に、いまここに有るのは新しい生命です。新しく生まれたあなたは、他の誰よりも不殺生の戒めを守ることに長けた者となるでしょう。これまでの罪を贖う、あらゆる努力をする覚悟があるのなら、わたしに付いてきなさい」
こうして、アヒンサーはその沙門、すなわち釈迦の弟子となった。彼の修行は激烈をきわめた。托鉢に出れば、人々は彼を激しく罵りながら泥や石を投げつける。彼の差しだした鉢には獣の糞が盛られる。彼はそうした人々に向かって合掌し続けた。毎日、傷だらけ、血まみれになって托鉢から戻る彼を、釈迦はただ黙って見守っていた。
そして、いつしか彼は、彼を捕らえようとして僧園を訪れたパセーナディ王を、ひざまずかせる程の気高い修行僧にまで成長する。』
(以上、勝手に引用してますが、文章が脚色されすぎていることご了承ください。他に良いものがみつからなかったので)
『仏陀の存在の光がアングリマーラの闇を退け、仏性を照らし出した』
『アングリマーラがこの世界に生まれてきた願いと勇気への畏敬』
『アングリマーラの仏陀への信と、その信への仏陀の応え』
この物語は信仰の力を如実に現している。そして、それは薬物依存症からの脱出と同じことだ。また依存症者とその周囲にいる人間との関係性でもある。
「止まりなさい、アングリマーラよ」と仏陀が言い、なぜアングリマーラが止まることができたか・・・。