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テレーズ・マルタン ~小さな愛の道~

「人間は,たとえどんなに弱くても,小さな力しか持っていなくても,何一つ悲感することはない。弱くて小さいからこそ,神は決して放っておかれず,おおきなあわれみと愛を与えてくださる。そして,与えてもらうだけでなく,たとえ小さな小さな愛の行いであっても,隣人のために与えるならば,人間は,真の幸せを得ることができる」 
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# by yakubutsu | 2006-03-26 20:14  

チューラ・パンタカ ~愚直の人~

 お釈迦さまのお弟子さんに、チューダパンタカという方がいました。漢訳仏典では周利槃特(しゅりはんとく)と呼ばれている方です。 この方はひじょうに物忘れがひどく、自分の正式の名前(たいへん長かったようです)すら覚えることができなかったと言います。
 この時代、お釈迦さまの弟子たちは、お釈迦さまの教えを、ガ-タ-という詩のかたちにして暗記します。一日に五つも六つも詩を暗記できる者もいれば、一日に、ひとつしか暗記できない者もいるといった具合に、みなそれぞれ自分の分に応じて修行をしていたわけです。
 お釈迦さまはチューダパンタカに「三業に悪をつくらず、諸々の有情をいためず、正念に空を観ずれば、無益の苦しみはまぬがるべし」という詩を教えられました。「悪いことを思ったり言ったりしないで、諸々の生命を損なわないで、どんなことにも執われなければ、つまらない苦しみなどどこかにいってしまうよ」という意味の詩でありますが、チューダパンタカにはなんとしても覚えられないのです。
 兄のマカーパンタカは秀才の誉れが高く、お釈迦さまのお弟子となって進境いちじるしいものがありましたが、弟のチューダパンタカは、ただの一句すら覚えることができません。何度も繰り返し教えてもらうのですが、最初に戻ると、もう後の句を忘れてしまう、後の句を覚えると、最初の句を忘れてしまう、といった調子で、いっこうに先に進みません。 そんな状態でしたから、お兄さんのマハ-パンタカはとうとう面倒を見切れなくなって、チュ-ダパンタカに、「もうおまえは還俗しろ。仏教教団にいても、おまえは悟りなど開けないだろう」と言って、教団から追い出そうとします。 しかし、チュ-ダパンタカは、どうしても教団を去り難く、ひとり祇園精舎の門の前でしょんぼりとたたずんでいました。
 そこへお釈迦さまが来られて、「チューダパンタカよ、どうしたんだね」と尋ねられました。
 そこで、チューダパンタカは、「兄に、おまえはもう、仏教教団にいても見込みがないから、田舎へ帰れと言われま した」 と答えると、お釈迦さまは、「チューダパンタカよ、わたしについておいで」 と、チューダパンタカを連れていき、これで「除垢・除垢」といって掃除をしなさいとほうきを与えました。チューダパンタカはお釈迦さまに見守られ「塵を払い、垢(あか)を除かん」と念じつつ掃除を続け、ついに佛意を体得したといいます。お釈迦さまに呈したチューダパンタカの悟りの言葉は「除とはこれ慧を謂い、垢とはこれ結をいう」。いわゆる彼は「自己をあざむかず人をあざむかず、ただまごころ、誠実一片で煩悩の塵を払った」とその瞬間、チューダパンタカは悟りが開けた -- と、このように言われています。

  チューダパンタカが塵を払い、垢を除くことができたのは、純真でひたむきな智慧がそうさせたのであって、要領の良い知恵ある者にはとうてい真似のできないところでしょう。(すべて勝手に引用しています。http://www3.ic-net.or.jp/~yaguchi/advice/atamagawarui.htm)
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# by yakubutsu | 2006-03-10 00:54  

『止まりなさい、アングリマーラよ。』

 『アヒンサーはクシャトリア(貴族階級)の生まれで、誠実で勉強熱心な青年だった。一人のバラモン(僧侶階級)を師事し、よく勉学を修め、将来を嘱望されていた。ところが、そのバラモンの若い妻が彼に懸想をした。彼はこの誘惑を退け、彼女を拒絶するのだが、これにプライドを傷つけられたバラモンの妻は亭主に対し、逆にアヒンサーが彼女を誘惑したかのように訴える。怒り狂ったバラモンは彼に呪いを掛け、千人の人間を殺してその小指を切り落とし、その指で作った首飾りを掛ければ学問が成就すると思い込ませる。アヒンサーは殺人鬼と化し、以後アングリマーラ(指鬘―指の首飾り)と呼ばれて恐れられるようになった。

 九百九十九本の指が集まり、あと一人という時、ひとりの老女が彼の前に通りかかった。それは生命を掛けて彼を制止しようとする、彼の母親だった。が、呪いを掛けられたアヒンサーには母親よりも、学問の成就こそが大切に思われる。何の迷いもなく彼は剣を振り上げた。その時、彼の眼前に立ちはだかった一人の沙門がいた。アヒンサーには剣が振り下ろせない。訝った彼は母親を置いて、その沙門の後を追う。が、どれほど力の限り走ってもその沙門には追いつけない。
 やがて疲れ果てたアヒンサーはたまらず、「止まれ!」と叫ぶ。
「わたしは始めからここに立っている」
 沙門は息を切らすこともなく、最初の場所に佇んでいた。
「あなたこそ、何故そんなにひた走るのか。あなたこそ、止まるがいい」
 アヒンサーは震えながらも沙門を罵った。
「俺が何をひた走っているというのか。お前が逃げるから追っただけだ。お前を殺して指をもらう。それで俺の学業は成るのだ」
「わたしは逃げてなどいない。あなたがひとり、あなたの内の善なるものから逃れようとしているだけなのだ。わたしはだから、あなたにこそ止まれと命じる。あなたはいったん死なねばならない。死んで善なる本来のあなたに生まれ変わらねばならない。その手助けをしに、わたしはあなたを訪れたのだ」
 この時、瞬時にしてバラモンの呪いは解け、アングリマーラはもとの誠実な若者のアヒンサーに戻っていた。彼は沙門の前にうずくまった。

 「ああ、しかしわたしが行った悪業の消えることはありません。すでにわたしはあなたの教えの不殺生を破った者です。わたしにはあなたに教えを受ける資格などなく、地獄に落ちるよりないのです」
「あなたとわたしたち自身を戒めるため、不殺生の教えを、以後アヒンサーと呼ぶことにしましょう。古いあなたは死に、いまここに有るのは新しい生命です。新しく生まれたあなたは、他の誰よりも不殺生の戒めを守ることに長けた者となるでしょう。これまでの罪を贖う、あらゆる努力をする覚悟があるのなら、わたしに付いてきなさい」

 こうして、アヒンサーはその沙門、すなわち釈迦の弟子となった。彼の修行は激烈をきわめた。托鉢に出れば、人々は彼を激しく罵りながら泥や石を投げつける。彼の差しだした鉢には獣の糞が盛られる。彼はそうした人々に向かって合掌し続けた。毎日、傷だらけ、血まみれになって托鉢から戻る彼を、釈迦はただ黙って見守っていた。
 そして、いつしか彼は、彼を捕らえようとして僧園を訪れたパセーナディ王を、ひざまずかせる程の気高い修行僧にまで成長する。』
(以上、勝手に引用してますが、文章が脚色されすぎていることご了承ください。他に良いものがみつからなかったので)


 『仏陀の存在の光がアングリマーラの闇を退け、仏性を照らし出した』
 『アングリマーラがこの世界に生まれてきた願いと勇気への畏敬』
 『アングリマーラの仏陀への信と、その信への仏陀の応え』


 この物語は信仰の力を如実に現している。そして、それは薬物依存症からの脱出と同じことだ。また依存症者とその周囲にいる人間との関係性でもある。

 
 「止まりなさい、アングリマーラよ」と仏陀が言い、なぜアングリマーラが止まることができたか・・・。
 

   

# by yakubutsu | 2006-02-18 12:21